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風水師 山田光復の鑑定日記

陰宅風水コンサルタント in 富士・富士宮 / 「郭璞」

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<本日の活動予定>

■風水ビジネスプラン構築コンサルタント打合せ1件

 

<今日のつぶやき>

■富士市・富士宮市で朝から、「家系カウンセラー養成講座」の講義と、

「陰宅風水の現地調査」で夜まで滞在しました。

天気良く富士山の景色を一日楽しめました。

とても得した気分でした!!

 

<本日のお話>

■風水を哲学する21「郭璞」

 

「葬書」は、その名の通り

墓地を選ぶさいの、土地の選び方を記したものです。

著者は、『郭璞』とされていますので、先ず『郭璞』についてお伝えします。

 

『郭璞』は、「青嚢中書」を譲り受けたと、晋時代の書籍「晋書」に記されています。

「青嚢中書」は、晋の郭公なるものの著した五行・天文・卜筮の書で全九巻です。

それを印璽を納めるのに用いる青嚢、すなわち青い袋に入れたものを、郭璞が授かったところから「青嚢中ノ書」という名で呼ばれるようになったとされています。

しかし、『晋書』の郭璞伝では、この書を火中に没し、ついに後世に伝わることはなかったとされています。

又、戦乱に見舞われると、郭璞は筮竹で将来を占ったり、

様々な術や予言を行い、多くの難を逃れたという青年時代が史書に残されています。

その後、司馬睿(後の東晋の元帝)の腹心王導に招かれ、

彼の参軍となり、その卜筮の術によって大いに重用されます。

324年、王敦は、反乱を企て、郭璞にその成否を占わせたところ「成る無し」の結果に激怒し郭璞を処刑した。享年49歳でした。

 

晋の「郭公」が何者で『青嚢中ノ書』の詳細は不明確で、史書の信憑性も微妙ではありますが、ともあれ、「郭璞」が天文地理・五行・占法に通じた当代の知名人であったことは疑いは無いようです。

堪輿・風水の創始者に仮託される所以です。

 

㈱ベストフォーチュン 問い合わせhttp://www.kouhuku.com/contact/?id=1

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